清鱗ブログ まだまだ半人前おかみ

南魚沼浦佐にある小さな寿司屋のおかみの

中越地震から1年②

(続き)
 自宅へ帰る途中の道路はあちこちでがたがたになっていて、田んぼには亀裂がはいっていました。信号機は止まっていたのですが、交差点ではお互いに譲り合いながら通りました。

 自宅に着いて中にはいってみると、足の踏み場もないほど、いろいろな物が倒れており、2階にいたっては揺れがひどかったのか、28インチのテレビがかなり飛んでいました。とりあえず懐中電灯を探そうとした瞬間、最大の余震が....

 私は一人自宅の2階にいました。かなりの揺れ、もう恐怖で慌てて階段をおりたところで、靴が何かにひっかかり転んでしまい足が抜けなくなってしまいました。もうそこで腰がぬけてしまい、とりあえず必死に這って外へ出ることができました。生まれて初めて、恐怖で腰が抜けました。今もその状況を思い出すと、震えが止まらなくなります。

 外では余震のたびに車が揺れ、電線が音をたててしなりました。店にいる旦那が心配になり携帯をかけてもつながらず、私はおばあちゃんと子供達を近くの集落センターに避難させ店に様子を見に行きました。
 
 店では旦那はずっと車にいたらしいのですが、最大の余震で目の前の3階の建物の壁が崩れたそうでした。様子を見ながら店に入り食べ物を持ち出し、旦那と一緒に子供達のところへ避難しました。
 
 この頃には日が暮れ、停電している性もあり全部が真っ暗でした。

 おじいちゃんも最初の地震で慌てて十日町を出たので、道路がなんとか通れる前に自宅に帰ってこれました。家族全員顔を合わせた時は、本当によかったと思いました。
 
 その日は避難所で余震の続く中、ラジオの音に耳を傾けながら、眠れぬ一夜を過ごしました。2歳の三女を抱っこしながら、空を見上げると、すごく綺麗な星空だった記憶があります。きっと三女は地震は覚えていないんだろうな。

(続き)