清鱗ブログ まだまだ半人前おかみ

南魚沼浦佐にある小さな寿司屋のおかみの

今日で母になって10年が経ちました。

今日は自分のことを書かせてもらいますね。 長~い文章になります。
母親になったときの体験ですが、決して安産ではありませんでした。


10年前の今日、実家の病院で私ははじめて赤ちゃんを産み母親になりました。
雪の多い寒い冬の日でした。実家で風邪をひいていたときの陣痛でした。
でも病院で、私のお腹の中の赤ちゃんの心音がなくなり緊急帝王切開をしました。
原因は私の胎盤剥離でした。

病院には母親に送ってもらったのですが、その後は母親が用事にいったので私ひとりでの帝王切開でした。私は急なことで訳が分からず医師に「赤ちゃん大丈夫ですか?」と聞くと「わかりません!」と一言言われたのをおぼえています。 本当に心細く不安で不安でたまりませんでした。

いざ帝王切開、生まれた赤ちゃんは鳴き声をあげませんでした。
必死で赤ちゃんを叩いて泣きなさい!泣きなさい!と言っている看護婦さんの声を聞いて涙があふれたのを、処置室に赤ちゃんが連れて行かれる前に私に顔を見せてくれたのですが、顔色が紫色で本当に赤ちゃんに申し訳なくて、心の中で赤ちゃんに謝り続けたことを思い出します。


その後、私の母親、旦那みんな駆けつけてくれましたが、誰に赤ちゃんのことを聞いても教えてくれませんでした。帝王切開後の術後3日間動けなかったのですが、その間赤ちゃんを見ることもできませんでした。何が赤ちゃんに起こっているのか、本当に何もわからずとにかく、生きていて欲しいただそれだけを願う毎日でした。あの3日間は自分の人生の中で一番長いように感じました。

ようやく4日目に歩けるようになり、赤ちゃんに会いにいけることになりました。
私は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。でも会う前に小児科の先生の話を聞きましたが、私の赤ちゃんはお腹の中で胎便をのんでそれが肺に入り肺が破れ危篤になったということでした。今は人工呼吸器をつけ呼吸を助けているということで、これからどうなるかは小児科の医師にもわからず「赤ちゃんの生命力を信じよう」ということでした。私の頭の中は真っ白になりました。

そして私は旦那と一緒に新生児室の保育器の中の私の赤ちゃんと初対面しました。
赤ちゃんは人工呼吸器や栄養の管や点滴やいろいろなものに繋がれていました。
そんな姿を見ても不思議と絶対に大丈夫、私の赤ちゃんは絶対に頑張って元気になるとおもいました。
強い生命力を信じよう、絶対によくなると旦那と共に赤ちゃんを見守ることにしました!


後で聞いたのですが、私を赤ちゃんと合わせるときも家族でもめたそうです。その様子を見ていた看護婦さんが「自分だったら、どんな状況でも赤ちゃんに会いたい。赤ちゃんを産んだのはお母さんなんだから・・・」といってくれたそうです。それで私と赤ちゃんの初対面ができたそうです。


正直言って赤ちゃんの回復を信じて明るく振舞っていたのですが、夜は枕に顔をうずめ声を殺して泣いていました。世の中本当にどうしようもないことがあるんだと...赤ちゃんは悪くないのに、私が悪いのにとこの時は切なかったです。


それから毎日時間があれば保育器の中の赤ちゃんを見に行きました。その間もみんなが支えてくれました。
そしてとにかく祈って祈って!生命力を信じ! そのおかげで、2週間後赤ちゃんは自分で呼吸が出来るようになりました。 本当に本当に心からよかった嬉しかった~☆


この手紙はこのときの赤ちゃん(長女)が2年生のときに自分の誕生の勉強をしたときに、私が長女に宛てた手紙です。 黄色で隠してあるところは長女の名前です。 長女の机に大事にしまってあるのを借りました。



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母親になり10年、子供3人に恵まれ子育てに追われ、イライラそして子供にガミガミいってしまってます。 母親になった時の思い、ただ生きていてくれればそれだけでいいという思いをたまにはしっかりと思い出さなければデスね。年に1度長女の誕生日には命あっての自分、みんなに助けられて生きているということを思い出すいい機会になっています。そしてなにより子供によって私も育ててもらっています!


自分の体験を長々と書いてしまいました。
いつか誰かにこの経験を聞いてもらいたいな~と思っていました。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

☆もちろん今日の長女の誕生日にはケーキを焼いてお祝いしましたよ☆